乙女チックに10題:02




 わけありで稲羽署にやってきた足立が厄介者同士押し付けられるように堂島の元へと回されてきて、最初に教わったことは市内の道や建物だった。くだらないとは思ったが、覚えるのは決して簡単ではなかった。わかったフリをするのはさらに難しく、よく堂島の車で外回りをする時にボロが出て怒鳴られた。潰れた模型屋が駅前にあろうが商店街にあろうが自分の人生にはまったく関わりのないことだと思っていた。
「本当に、覚えないな。お前」
「や、だって難しいですよ。堂島さんは昔から住んでるからいいですけど、言っときますけど僕、ここ来てまだ半年経ってないんすよ」
 半年もいてどうして覚えられない、と逆の言葉を返される。もちろん足立だって馬鹿ではないのだから、ある程度の土地勘は得ることが出来た。ただ、やはり、用も無いどころか営業すらしていない商店の場所や名前を正確に頭に入れておくのは難しい。
「ああ、それとな。お前また課長の…」
 堂島にはこの半年でいろいろなことを教わった。本当にいろんなことを。町のこと、人のこと、職場のこと、田舎の処世術、酒の肴のうまい店。


 そして、今までとは違う他人との距離感。
 こうも気安く頭を叩かれるのはこれまでの足立の人生ではなかったことだ。若輩とはいえ荒っぽい警察文化の中に数年居るのだから、殴られたことなど一度や二度ではないが、堂島のはなんというか、心理的な距離感が近いのだと思う。会話をするような気安さで手が出る。それは彼にとってコミュニケーションのひとつなのかもしれない。足立にとっては迷惑この上ないが、こうした距離での人との関わりもまた堂島に教えられたことのひとつだ。これまで知らなかった近さが、常に隣にある。
 そうして、今も。
 資料室の隅のソファで足立は規則正しく寝息を立てる。狭く埃っぽいこの部屋には堂島と二人きりで、他の人間は滅多に来ないのをいいことに仮眠中だ。もっとも、堂島の個人的な調べものに休憩返上で付き合っているだけなので文句を言う人間もいないだろうが。この時ばかりは多少申し訳なさそうな顔をする堂島の許可を得て午睡をとる。
 意味も無く人前で眠ることなど以前は考えられなかった。寝ているときの姿を他人に見られるなど耐えられない、そう思っていた。だけれど今はまったく意に介さずどこでも、堂島の隣であれば、眠っていた。そういう姿を見せる距離であって良い人間なのだと言外に教わったからだ。署の奥にあるこの部屋は静かで、時折遠くから声が届くばかりだ。ここだけ時間の流れが遅いのではないかと錯覚するほどに穏やかな時間が流れている。
 ぎし、とソファのスプリングが軋んで頭が沈んだ。棚に向かっていた堂島が腰を下ろしたのだと夢の中で理解する。そろそろ昼休憩が終わりなのだろう。起きなければ、と思うが目蓋は開かない。すっかり慣れてしまった煙草の煙が鼻をくすぐり、もう少し大丈夫そうだと悟った。目を閉じたまま、額を覆う大きな手の温度にまどろむ。この人は、時々こういうことをした。
 移動した手のひらはいつものように髪の毛へともぐりこむ。目を閉じて、味わうかのような表情で髪を指で遊ばせる。見えはしないが感覚でそれとわかる。毛髪にも神経が通っているのだろうか、と思わせる程度に。骨ばった指が自分の髪をくぐり、通り抜けると毛先がねじれてはねあがるのがわかった。そうして指に巻きつけ、毛が折れたり弾んだりするのをどことなく楽しそうな口元を見て察する。その一連のしぐさに、ああ、この人はくせ髪で遊ぶのが好きなんだな、と知った。愛しむような手つきというのはこういうものなのだろうか。跳ねる毛先に指をもぐらせて、そこに彼なりのコミュニケーションを見る。ああ、だけれど彼の最愛の娘は毛束こそ内にゆるく巻いてはいるが、まっすぐの髪ではなかったか。

 決して上等とは言えないソファから身を起こして伸びをする。散らかしたファイルを元の位置に戻す堂島に先ほどの様子は窺えない。脱いでいた上着に袖を通しながら、聞く。
「堂島さんの奥さんって、癖毛か、パーマ?」
 ぴくりと肩がはねた気がした。手にしているファイルはそういえばその奥さんに関わるものだ。写真とか載っているのだろうか。癖毛を愛しむ、そのしぐさをあなたに与えたのはきっとそのひとでしょう。殴るよりも、さらに近い、あの行為の意味がわからないので
「教えて下さいよ」
 
 
 
おわり

 



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堂→足は、足立がそれを知っていても知らなくても萌えます

09.04.25