ラブレター




「おまえ、字下手だったんだな」
「は…… わ、悪かったですね、堂島さん」

 昼間言われたことを思い出す。


 差し出された書類を受け取りながら足立は眉を寄せた。少し広めの罫線が引かれたレポート用紙には下手くそと言われた自分の字がつらつらと並んでいる。今さらながらあの量をよく書いたものだ。
 昨日はどういったわけか使えるパソコンがまったく無かった。自分のパソコンは堂島が使用中、課内の共有パソコンもろくにキーも打てない上司が長時間占有していた。さすがに席を外している同僚のPCをちょっと拝借…ということはこのご時世どうかと思ったし、よその部署に「文書作成だけさせて下さい」とわざわざ出向くのも面倒だった。
 そうして仕方がないので手書で報告書を作成し、堂島に渡した。
 それは正式なものではなく足立と堂島の個人的なもので、互いの別行動の聴取結果を埋めるためのものなので支障は無かった。
 珍しく堂島が帰りを急いでいたのと、たいした報告も無かったため、足立は堂島がキーを打つその横でペンを取ったのだった。
「やっぱりおれとおまえ、代わるべきだったのかもな」
 堂島は笑いながら運転を再開した。だけれど足立はそれに反対だ。足立の字は確かに下手かもしれないが、乱暴ということはない。間違いなく山という字を山と認識できる。だが堂島の字は雑だ。彼の丁寧に書かれた字は氏名ですらめったに見たことはない。メモ帳に走らせる覚書とほとんど変わらない乱雑な字で足立に指示を送ってくる。正直なところ読めたものではなかった。
「もう、面倒くさいだけですよ。手書にしろパソコンにしろ。こうやって顔合わせて、収穫なしです、ってひとこと言えばそれで終わるのに」
「収穫なしってのはなんだ。お前一日中ぼーっとしてんのか」
 そこに食いつくのか、と足立はこっそりため息を漏らす。
「例えですよ。新しい情報が無いってことをどう報告するのか、そこから考えなきゃならないのが面倒なんですよねえ」
「まあな。ま、人が足りてねえんだ。しばらくは別行動だな」
「で、しばらくはこうして堂島さんと交換日記なんですね…はい、堂島さんの分です」
 朝のうちに目を通した、インデントも表組みもあったものではない堂島の報告書を返す。
「交換日記とは違うんじゃねえのか、こういうのは…」
「似たようなもんですよ…あーもうめんどくさい!」
 いつもなら怒鳴られるであろうこういった言葉が躊躇無く口をつくのも、堂島も同じ思いであることを知っているからだ。飛んでくるはずの拳のかわりに苦笑を漏らす堂島を足立は なに笑ってるんですか と社交辞令のように返す。
「いや…おれも早くおまえと二人に戻りたいからな」
 本当だ、こうして言葉で報告しあえば一瞬、そもそも一緒に話を聞いていれば必要のないラグ。…僕も、喉まで出かけた言葉は異なる意味を含みそうで結局飲み込んだ。

「はあ…今日の分もですよね、まとめきれるかなあ…ちょっと件数多いんすよ」
「いいことじゃねえか、今日は少し残業するから急がなくていいぞ」
「それって僕も残業しなきゃならないってことでしょ」
 そうこう言っている間に車は署に戻ってきた。今日はパソコンが使えるだろうか。もう手書は勘弁願いたい、いったい今は西暦何年だ。
「毎日こうして朝夕顔あわせてるのに、毎日堂島さんに手紙書いてる気分です」



 暗い室内で進まないペンを握りなおす。さっきからまったく手は動いていない。紙は真っ白なままだ。今日、もう昨日になってしまった日付だけ書いて、その先が進まない。そもそも日付などいらなかった。これは報告書なんて大層なものではない。散らかったテーブルの上の紙切れを薄青いテレビの光だけが照らす。
「すき、好き、すきすき大好き………こうやって呟いたって意味無いことは分ってるよ」
 今日こんなことがありましたよ、誰と会いました、こんな話をしていて、僕はこんな風に思いました、そういえばこの間堂島さんが話していたこと、あれって…  仕事・報告・所見、そんなオブラートでがちがちに包まれた文章はつまるところこうだ。離れていた二人の距離を埋める言葉の羅列。
 止まっていたペンを動かし、好きですと書いた。下手と笑われた癖のある四角い字が真っ白な紙にぽつんと浮かんだ。
「会って言葉にすれば一瞬、こうして紙にペンは面倒くさい、そもそも一緒にいれば、…必要ない」
 好きだと伝えて得たいものがひとつならば。
 
 
 
おわり

 




足立はアナログ作業嫌いそうです(苦手とかめんどくさいとかじゃなくて、ばかにしてそう)

10.04.13